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動物園で死ぬ [作文]

 先日、上野動物園に行ってきた。こんな大人になってからは(だから、どんな大人かは書けないって)初めてのこと。ひょっとして人生2度目かもしれない。
 さて、今回はバードウォッチングの基礎固めのつもりで、主に鳥さんを中心に見て回った。ニホンコウノトリの檻(カゴ?)の中に若いアオサギが乱入して休憩していた。中洲にはカワウ?がうじゃうじゃ。ペンギン舎では狭い行動半径の中をヨチヨチと歩き、水遊びをしていた。フラミンゴさん達はけたたましくも毒々しくも、全身蛍光色で頑張っていた。
 少し暑くなってきた東京の動物園、サイもカバも羊も、ライオンもトラもなんだか気だるそうに地べたと仲良しに。。力の強い獣、足の速い獣、大空を飛ぶもの等々。それぞれが本来の自分たちの故郷を遠く離れてそれはそれはのんびりと寛いでいた。
 この光景に違和感を感じて
「そもそも野生の動物をつかまえて人目に晒すとは!」
とも思う。ガンガン走り回って草食動物を襲うネコ科の動物や、猛禽類の狩りの様子なども見たいもの。でもここでは無理。生態のほんの一部に触れるだけ。そういう場所。
 ところで彼らは幸せなのだろうか? 幸せという思考回路はないだろう。ここにいれば安心できるとか、\(^o^)/エサだエサだー、という感情はあるだろうけれど。だから、
「こんな狭いところに閉じ込めて可愛そうだ!」
などと言わない方がいいのだろう。
 さて、ヒトだが。。。捕らえられた動物とひきこもりの人を一緒くたにして考えてはいけないが、まるで運悪く捕獲された動物園のクマさんのようにおうちにひきこもっている人は幸せなのだろうか?
 と、わたしも半ばひきこもりなので、経験上、うちにいれば安全で安心で寛ぐことができる。それを、やれ働けだの、学校に行けだの、義務だ何だと周囲が騒ぎ立てるのはどんなものか?彼らが社会に出ることを望んでいるのならば、それなりの支援も必要なのだろうけれど。
 自分を守るためにひきこもる他に手立てがない、そういう人は絶対にいるはず。他に逃げ道がなければ、それもアリだと思う。決して無理くり引っ張り出したりしてはいけないと思う。むしろ彼らの生活形態は、この国の未来の新しい形作りのヒントなのかもしれない。。


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1-11  幼馴染み [ぼくたちのおっぱい]

 同じ小学校に通った幼馴染み、斎藤◉ゆきさんについて書く。
 同級生の保護者同士ということで互いの両親も顔見知りの幼馴染みだ。彼女とはしばらく一緒に習字の塾にも通っていた。
 小学校6年生ぐらいの時のこと。初めて彼女の家に遊びに行き、そこで初めてのキスをしたような気がする。とっても曖昧な記憶である。でもこれって厳密に言うと初めてじゃないよね。女の子とキスをする前に同級生の男の子としてるから。初めての「女の子とのキス」だよね。でもって、これが恋と呼べるのかどうかは分からない。子供のお遊びでしかなかったんじゃないかな? 彼女にとって僕は幼馴染み以上のものだったのかもしれないけれど。
 それぞれの高校を卒業し、ともに上京し、さらに大学を卒業して久しぶりに会ったときのこと。別々の大学に進んだせいもあり長いこと疎遠にしていたのだが、せっかく同じ杉並区内に住んでいるのだから、ということで久しぶりに会うことになった。
 西荻窪駅前はにぎやかだった。勤め人や学生達が帰宅し始める時刻にもかかわらず、お年寄りや子供もまだ大勢歩いていて、いかにも杉並という感じがした。彼女がよく飲んでいるという店へ案内されて、そこでしばらく安い酒で昔話をした。北海道出身だという店長の作る料理は僕の口にも合った。
 気分よく飲み進めていったのだが、法曹界で働こうという目標のある女と、未来に何の希望もない男、二人の話は微妙に噛み合わなかったように思う。それでも波長を合わせてしまうべきなのが、若い男の努めなのか? しばらく一緒に飲んだあと、後日彼女のアパートを訪ねるということを約束して別れた。
 彼女は子供の頃から本当に奇麗好きで、また、編み物や手芸等が得意であった。いまでは立派な法律事務所を都内の一等地に構える「先生」をしているが、当時は司法書士を目指し子供の頃そのままに、資格試験準備に励むしっかりしたお嬢さんになっていた。
 アパートに入ってしばらく話をした後で、彼女は手作りのピザトーストを焼いてくれた。僕は、そんな洒落たものを食べたことがなかったので、痛く感激した。
 食後、知らぬ仲でもない「いい年ごろの男女」がひとつ部屋にいて、指一本触れずにいると、
「そうやって、いい子でいたいのね。昔っからよね」
と彼女に言われた。
 でも、別にいい子でいたかったのではない。他に好きな子がいるでもなかったのだが、彼女に触れる気分が僕には湧かなかったのだ。いまならばこの年齢になってようやく自分の本能の部分が理解できつつある。女性に指一本触れない、それが僕にはむしろ自然なことだったと思えるのだが、彼女にしてみれば許し難いことであったのだろう。
 それにしても、あんな言い方されるなんて、結構ショックだったよ、◉ゆきちゃん!

(続く。。。)

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1-10  初恋 [ぼくたちのおっぱい]

 前述のように、クラスの女子には困らされていたわけだが、女の子にも男の子にも特に興味はなかったし、友達もいなかったように思う。要はほとんど他人に興味はないような人間だった。
 もう少し大きくなってから同じ小学校内で素敵な女の子を見つけた。彼女が「恋の対象」であったのかどうかは自分でもわからない。これを便宜上「初恋」と呼んでおくとしよう。
 どうやって知ったのか覚えていないのだが、名前は水上あけ◉さん。ひょっとして同じクラスだったのだろうか? それすらもはっきりとは覚えていない。でも、同じクラスでもなければフルネームで知りようもないのだから、間違いないだろうね。子供の頃のアルバムやら名簿は一切ないので分からない。(アルバムや名簿の類はすべて母親に実家から送ってもらい、着いた途端に全部引き裂いて捨ててしまった(^O^))
 さて、あけ◉さんだが、ちょっとぽっちゃりした顔立ちで、色白の、おっとりとした「雰囲気のある」素敵な子だった。クラス中みんな北海道の子供だから、周りの子は大概色白だ、僕も含めてね。彼女はいつもきれいに髪をまとめていて、それがいたく気に入った。
 小学校へ登校する彼女が坂道を歩いていく、その後ろ姿を思い出す。坂道の両脇には名前もわからない雑草が伸びていて、上りつめると正面に小学校校舎の入り口、右側に折れると後年通うことになる高校への道に入る。
 学校帰りに彼女と話せないかと何度となく機会を窺ったが最後までかなわなかった。根本的にストーカー体質なのかもしれない(^O^)
 小学校を卒業し、その次に彼女を見かけたのは隣の中学校で開かれた体育会行事の時だったと思う。すっかりお姉さんになっていた。そりゃあそうだ、どう見てもお兄さんではなかった。やっぱり素敵だった。結局、その当時もその後も一度も話しをする機会を得なかった。いや、機会はあったのだが、話しかける勇気がなかったのだ。
 さらにさらに時が経ち、僕は上京して大学生になり、その寮内での話。同じ函館出身、あけ◉さんが通っていた隣の中学から僕と同じ男子高に進み、同じ大学に入学した男が彼女のことを知っていた。同郷ということで子供のころの記憶を引き合わせながら話していて、僕があけ◉さんを素敵だと思っていたことを言うと、ヤツは、「あの子は姓が変わった」と教えてくれた。それを聞いた僕が驚いていると、
「え〜、あんなのが好きだったの〜?」
と、繰り返し繰り返しヤツに失礼な言い方をされたので腹が立った。別に「好き」だなんて言ってないじゃないか。が、貴重な情報を得たな、とも思った。どう貴重なのか、わからんが。今さらストーカーにはなれない(^O^)
 あけ◉さん、彼女は今どうしているのかな? 大人になって、さらにもう一度姓が変わったのだろうなあ。どんなに年をとっていようと、きっと今でも素敵な女性でいることだろう。僕はすっかり「何だかわからないもの」になったけれど。。。

 ところで、小学校の担任だった鈴◉先生のことを書く。
 僕は落ち着きがなくて本当にどうしようもない子供だったので、先生を困らせることがあった(ある種の障害であることを今だに疑っているけれども確信は持てずにいる)。
 ある日、教室の中で口笛を鳴らした時、
「こら、口笛を吹くんじゃない!」
と叱られ、僕は
「いいえ、口を吸っていたんです」
と口答えした。
 口笛を吹いて、口の形をそのままにして息を吸うと同じように鳴るのはご存知でしょう? あれをやり、先生に向かって子供のくせに「口を吸う」なんて言ったものだから、ご年配の鈴◉先生はえらくご立腹された。こっちは小学生だ、口を吸う意味なんてわからない。年齢の割には(しかも男の子なのに)キスをされる豊富な経験はあったが(^O^)
 父兄参観の時、鈴◉先生は保護者の前で生徒達に五十音字や一から十までの数字をすべて書かせた。こんなこともお宅のお子さんは身に付いてないのですよ、と言わんばかりに。
 別のある日、僕が教室でうんちを漏らした時、鈴◉先生は徹底的に僕をいじめた。ばっちいので早々に帰宅したいのに、なかなか許してくれなかった。
 後日鈴◉先生が脳梗塞で入院されたので、母と他の保護者らと一緒に見舞いに行ったこともあった。その後復帰されたかどうか覚えていない。たぶんとっとと死んだであろう。

(続く。。。)

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1- 9  LOVE MACHINE [ぼくたちのおっぱい]

 男のパンツも履けないような僕だったが、変なところが早熟であった。
 淫夢とでもいうのだろうか、いやらしい夢を見て興奮する癖があった。決して女の子とエッチする夢ではないところが普通じゃないのだが、いかが? 
 さて、淫夢の最たるものが「機械に犯される」というもので、子供の頃は随分長い間その夢で楽しませてもらったものだ。それにしても、何かに犯されたり襲われたりして興奮するというのは百歩譲って理解できなくもないが(犯されたい願望がある男の子ってどうよ)、「機械」に、しかも「やられちゃう」というのは今だに理解できない。小学生の時点で既にかなり変態な子供だったんだな。

 遠い昔。実家の子供部屋では高校生の兄は夜遅くまで勉強をしていた。すぐそばで僕は布団にくるまって眠るふりをしていた。灯油ストーブに火がついている部屋の中にいても吐く息が白い、そんな北海道の寒い夜を思い出す。
 兄が「ながら勉強」で聴いている深夜ラジオの音が、性能の悪いイヤホンから微かに漏れていた。蛍光灯の光は僕の枕元には届かない。息を殺して淫夢に落ちるのを待っている僕。。。

 どんな夢かというと、大きな機械工場のラインの上に自分は仰向けに寝ていて、両手は身体の下に後ろで縛られている、というところから始まる。
 見上げると頭上を大げさな機械が足下から頭の方へ流れてきて、同時に下降してきて、僕の股間に鋭く突き刺さってくる、という夢である。その機械が次から次へと流れてきて、僕はいちいちその機械たちに「やられちゃう」という摩訶不思議な夢なのだ。
 男の子として「ちんこ」を嬲られるとか、「後ろ」を突かれるとかというのではなく、女の子としてやられちゃうのである。僕の下腹部には女の子の部分があるわけないし、何かが自分の中に入ってくるという感覚も全く理解できていなかったはずなのに。まだ小学生という子供であったのに、僕はこの夢をえらく気に入って、自慰を覚えたての頃、本当に随分お世話になった。
 後年、H.R.ギーガーが描く「機械と生体とを合体させたような悪夢的風景」が好きになったのは、この頃の名残だろうか。他にもゾクゾクして見てしまう風景がいくつかある。「成仏したジョブズ」のように、普段見ることのないパソコン内部の配線の美しさに拘る人の気分を何となく理解できてしまう。夜のコンビナートで、まばゆい光に照らされたパイプラインにも惹かれ、「工場萌え」することもある。
 やっぱ、器械だよね、生身の人間より。なんて言ってると、「少しは人間に興味を持てよ!」と誰かに言われるかな?

(続く。。。)
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1- 8  男の子 [ぼくたちのおっぱい]

 幼稚園に通わなかったことについては既に書いた。僕は小学生になるまで「集団」というものに触れたことがなく、その中で過ごすことはあまり好きではないし、友達を積極的に作りたいなんて決して思わない子供だったと思う。この年になって(どの年かは言えないってば)いまだに発達障害を疑っている。それでも次第に学校へ通うことに慣れていき、校舎前の草むらにいる牛の側を通る時は巨大なウンチを踏まないように歩くことも覚えた。いかにも北海道らしい風景でしょ?
 さて、小学校2年生の時かな、もう少し学年は上だったかな? 教室の作りについての記憶からして、たぶん2年生ぐらいの時。悲しいくらいに記憶が曖昧だね。
 僕たちの教室はなぜか図画工作室だった。多目的教室なども使わないと授業ができない、子供の数が多い時代だったからね。年齢がばれちゃうけど。
 そんなある日の休み時間、誰と話すでもなく、僕が窓際で普通より広い教室の中をぼんやりと眺めながら立っていると、クラスの男の子が勢い良く駆け寄ってきた。ハッと気がついた時には、僕はその男の子に頬っぺたにキスをされた後だった。彼はそのまま走り去っていった。
 僕はボー然とその場に立ち竦んでいた。一体何事が起こったのだろう? 男性にキスされたのはそれが始まり(始まり?)だった。いや、その前に赤ちゃんの時点で親父にキスされたことも当然のようにあっただろうが。だが、当時はそこから何かがハッテンすることはなかった。小学校の教室だもの、「出会い」も「交渉」もなかったのは当然である。
 実を言うと、その男の子とは一度も話をしたことがなかった。彼は中学生になったあたりから俄然不良っぽくなっていったのだが、今思うとかなり無理をして悪い男の子ぶりを表に出そうとしていたように思う。本来は男の子にキスをしたい性質(たち)なのに、そういう気持ちを抑えて悪ぶることで、「男の子に成り切らなきゃ」とでも思っていたのだろうな、と僕は彼のことを思い出す度に少し切なくなる。男の子にキスされても別に構わなかったのにな。今でもそうだけど。
 ちなみに、後日野球をしていた僕が空振りの挙げ句にバットを放り投げ、それを頭にぶち当てて殺してしまいそうになったのはこの男の子である。

(続く。。)

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夫婦の喧嘩の果てに。。。 [ぼくたちのおっぱい]

 ぼくたちのおっぱい 番外編 その2

 夫婦の喧嘩の果てに。。。

 昨日は夫婦喧嘩の起因と展開について書いたが、きょうはその顛末について。。

 さんざん口喧嘩をした挙げ句(母に手を出すような父ではなかったので)、父または母、どちらかが家を出る、という形で一応の結末(中締め?)を得た。
  タバコとライターをひっ掴み家を出る父の口は固く閉じられ、その禿頭からは炎が見えた。母はまたか、ということで殊更言葉をかけるでもなく台所仕事へ。しばらくして、結構な深さに積もった雪道で一服したのか二服してきたのか、父は帰ってくる、というパターン。
 いつの頃からかわが実家の真向かいの木造アパートに母方の祖父母が住むようになり(その後、同じアパートの2階に母方の伯母夫婦と従兄姉達が住むようになった。詳細はいずれ本編で)、その頃からは専ら母が家を出て祖母のもとへ愚痴りに行くというパターン。

 やれやれ、大人へと成長していく少年が
「親父にだって打たれたことないのにぃぃぃ!」
と飛び出して行くのはまだ可愛げがあるが、いい年こいた母、そしてすっかり頭の禿げ上がった父がプイと家を出て行く姿は、子供ながらに不愉快で、いたたまれない光景であった。

 こんなことを何度も何度も小さいから目の前で見続けていると、夫婦関係とか家族、家庭生活への憧れや将来的展望なんて抱けやしない。。。
 展望と言えば。。ある夜、母方の叔父の子:別の従弟が我が家に遊びに来ていて、彼と僕、兄とで3人麻雀をやっているところへ愚痴から帰ってきた母が戻り、激怒。伯父の遊び癖に泣かされていた伯母も交えて話していたのだろうか、非常に機嫌が悪かった。そして、
「あんたたち、何やってんの!」
そう、麻雀を打っていた僕たちは小・中学生だったから、怒られたのかな? 「じゃんドラ」とどうちがうってのよ!? その時、僕たちの手には展望ならぬ点棒が。。。。お後がよろしいようで。
 

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夫婦のケンカ [ぼくたちのおっぱい]

 ぼくたちのおっぱい 番外編 その1

 夫婦のケンカ

 子供の頃の記憶があまり定かではない。年をとると日常生活に支障が出るほどに物忘れがひどくなるという。認知症というわけでもなく、それは加齢とともに自然な成り行きらしい。この頃は簡単な動作、家事の流れに問題が生じるようになってきた。。。
 日常の、特に直近の記憶はどんどん、というかガンガン忘れていくのだが、遠い記憶というものはなかなか忘れないもののようだ。よく記憶喪失を扱った映画やドラマで、その災難に遭った人が記憶を失っているにも関わらず流暢に自分の国の言葉を話しているのを見ると、本当かいなと思うと同時に、深く脳に染み込んだものは容易にはデリートできないんだな〜、なんて感心する。
 そんなわけで、オツムの状態がこんなだからこそ、子供時分の記憶はしっかり残っているのか、というと決してそんなことはない。他でも書いたけれど、どうやら根本的な記憶障害なのかもしれない。
 
 子供の頃の風景として思い出すことはあまり多くはない。特に他の子供たちと遊んだ記憶が非常に少ない。ひとつ、最近思い出したことがある。目の前で繰り広げられた両親の言い争い、口喧嘩の様子をじっと聞いている自分。とても不安で不愉快で、気が滅入るような状況に付き合わされる自分がいる。ここで特筆したいのは、両親の口喧嘩の展開、話の流れを聞いていながら、同時にそれまでの両者の言い分を整理している自分がいたということ。
「なんでこんな言い争いになったの?」
 と遡ってたどる自分がいた、ということ。

 母親のひとことが父の癇に障り、きつい言葉を返す。それに口答えし、感情で咎める母。さらにそれに理屈を並べて反駁する父。これを母方の兄弟のことまで持ち出して詰る母。ついに母の実家との関係性にまで言及し益々機嫌の悪くなる父。。。。
 彼らの言葉のやり取りがどんな内容で、どんな風に相手を怒らせ、気持ちをこじらせていくのかをじっと観察すると同時に我慢して聞いていた自分がいた。小学生から中学生ごろの記憶だったろうか。。こんなことを日常的に見せつけられていると、ホント、家庭なんか持ちたくないと思うようになるよね。
 
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夜毎、僕は絶望する [作文]

 ダイアモンド先生が学生の質問に答えていた。
 生物が生きる特別な意味はなく、特別な目的もないと。ただ、生きる目的は設定できる、と。

 夜毎、寝入る前にほんのちょっとその日を振り返る。ほんとは「ほんのちょっと」じゃダメなんだろうけれど。
 そんな神様とお話しする時間を与えられた恵みに感謝しなくちゃいけないのに。。。

 でも、やっぱり博士が言うとおり、自分が生きる意味は見出せないし、目的もない。神様に賛美と感謝を捧げて生きることは大切な人生の目的なんだろうけれど。。。

 この世界はあわれで、はかなく、関係がなく、笑えない。
 つまり、この悪意に満ち暴力的で不愉快な世界は、ひたすら醜悪で愚劣だが、そもそも自分とは関係がなく、いずれ消え去る。

 さてさて、そんなわけで、明日も生きていく意味も目的もね〜よな〜、なんて罰当たりなことを考え、この世で生きていくことに、僕は今夜も絶望する。。。おやすみなさい。。

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1- 7  男芸者とランドセル [ぼくたちのおっぱい]

 男はつまらない、と思う。男として過ごす生活はつまらない、と思う。周りの男達もつまらないけれども。。。
 なぜつまらないかと言うと、女の子みたいに可愛い服で着飾ったり可愛い自分を演じたりできなかったから。そしてこれはいまだにできていない。
 例えば児童が背負うランドセル、最近の小学生達は実にカラフルなランドセルを背負っている。大人でも使っている人がいるけれども、それはさておき。男の子は黒、女の子は赤なんて画一的な色選びではなく、ものすごく多様な色に染まったものを使っているようだ。男の子達は昔よりずっとカラフルなランドセルを使っているようだが、女の子達の色選びの自由度には負ける。
 とにかく僕は画一的な色、その中でも黒は好きになれない。先日、子供達が真っ黒なランドセルを背負っているのを見てちょっと怖かった。この頃はあまり見ないからね。黒光りした革がなんだか禍々しくて不気味な感じすら覚えた。
 さて、僕が通った函館市内の公立小学校では制服がなかったので、基本的に自由な服装で通っていた。(そう言えば、制服を着ていたのは中学校の3年間だけだ)毎日自分の好きなものを、きょうは緑のセーター、きょうはオレンジのカーディガン、みたいに選び、取っ替え引っ替えして着るようにしていた。ある日、母が
「みきをちゃんは毎日洋服を着替えて学校に行くのね」
と行った。なぜそんなことを言うのだろう? 下着は毎日替えても、上着までは毎日替えない、というのが親の考えらしいのだ。だって、毎日違った色を着て登校するのは楽しいし、中間着は着替えて汗や匂いを飛ばした方がいいじゃん?と大人になった今ならわかるが、その頃の僕はうまく説明ができなかった。これを聞いていた親父が、僕に向かって
「男芸者だな」
と言った。自分の息子とはいえ、人を卑しめるようなその物言いに子供ながらとても不愉快な気分にさせられた。別に他人を楽しませるために着替えていたのではない、自分のためだ。なんでそんな風に呼ばれなきゃならないの? (芸妓や舞妓を嫌っているのではない。僕も芸事は好きな方だし、卑しめるつもりは毛頭ない。ただ親父の話しぶりが許せなかったということよ)
 最近は年齢や性別を意識せずに、とにかく気に入ったものを着るようにしている。いいな、と思えばレディースも着る。僕にとっては「女装」ではない。端から見れば女装?って感じなんだろうけれども。しゃあないよね、僕の身体の作りからするとメンズよりも女性物の方が全体のバランスとして合うときがあるんだから。身長に合わせて男物を選ぶと股下が長過ぎるという問題が生じる。ほんと最近の若い人は脚が長いんだから。サイズ直しを頼むのも面倒だから、いっそのこと女性用を買って履いてみるとピッタリすぎて驚く。お尻周りもなんだか丁度いい。
 あと15センチ、せめて10センチ背が『低ければ』よかったのになあ。こんな上背のある「芸者」じゃ売れない、って自分で「芸者」言うな。
 
(続く。。)


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1- 6  最初の女難 [ぼくたちのおっぱい]

 このたび、期せずして春先に帰省したので『函館の春』を大いに満喫した。何とも不謹慎な話だ。「期して」いたら、もっと不謹慎だ。もぬけの殻となった実家の庭にボンヤリと視線を落とし、生前の母と交わした会話を反芻する日々がしばらく続いていた。。。

 遠い昔、小学校に入って間もない頃のことをふと思い出した。街中に残っていた雪はすっかり溶けて消え、わが家の前にはぬかるんだ道が。舗装道路に変貌するまでにはあと数年を要した。乾き切らない地面から土の香りと湯気が立ち上り、すべての花々が一斉に咲き始めるという北海道ならではの春、新学期が始まった時のこと。
 小学校に入学して、僕たちは二人一組で教室内に配列された小さな机に座っていた。その頃、隣に座っていたのは小太りの女の子。授業中、僕の腿の上に自分の太腿を投げ出して載せてくるという、とてもいけない、しかもいけてない少女だった。それが困ったことに先生からは見えない机の下で、授業中に何度も足を絡ませてくるものだから(ほら、僕って可愛い男の子だったから仕方ないのよw)、あまりにもそれがイヤで、ある日ついに母親に相談した。
 この事態を僕が母親にまず説明し、母親から担任の先生に言ってもらい、さらに先生からその子の母親に、そして最後に女の子本人を説教したのだろう、この件は収まった。その頃から僕は「つれない男」だったのさ。
 もっと小さい時からだと思うのだが、僕は「近くに人がいる」という状況が嫌いであった。例えば電車の中とかで、あまりに近くに他人が立っているなんてイヤ、気になって仕方がない。特に男性の匂いや佇まいには我慢できない。素敵な男性ならば別に気にしませんがね。
 加えて僕は、人に触られるのも嫌いな性質だった。家の中で同じ部屋の、しかもすぐ隣に兄がいるとき。ヤツは僕の座っている椅子に足を載せてくるという行儀の悪さで、その態度がイヤでイヤでたまらなかった。こういう態度のせいで人嫌いが始まったのか、人嫌いだからこういう態度が許せないのか、「にわとり卵」だけれど(ある種の病質なのだろうか? 詳しいことはわからないが、その後生きていく上で少なからず障害になったことは否めない)。

 普通、隣に座る女の子が「色仕掛け」できたら、『女性に恥をかかせないのが男たるもの』だろうが、僕はまだ男と呼ぶにはあまりに子供だった。
 よくよく考えてみると、彼女の素振りを不快に思ったのは、行儀の悪さだけが理由ではなかったのだろう。はっきり書くと、僕は普通の男の子が抱くような感覚を持ち合わせておらず、基本的に女の子に興味がなくて、彼女は僕が好きになる対象ではなかった、ということなのだろう。
 実際、近所にはおままごとをして一緒に遊ぶ女の子達はいても、その子達を「可愛いから」とか「好きだ」、とか感じたことは一度もなかったように思う。僕にとって彼女達は、ただ「自分と遊ぶ仲間」でしかなかったのだ。
 とにかく、6歳ぐらいの男の子が女の子に「ちょっかい」を出されて、それをうれしく思わない性格(体質?)だった、ということだろう。どうせ僕は「つれない男」、まさか彼女は「男の子の心を持った女の子」だったのかな? つまり僕のことを「男の子じゃない何か」(それはそれで正解なんだろうけれど)と勘違いして足を絡ませてきた? それにしても授業中はいけません。
 
(続く。。)


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